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なぜ柔道整復師&オステオパシー施術師になったのか?~第1話 心が折れた日~

  

こんにちは。健康工房SOWAKAの隆(たかし)です。

  

「なんでこの仕事(オステオパシー施術)をしているのですか?」「どのようにしてオステオパシーと出会ったのですか?」

というご質問をよく頂きます。
  
普段はごく簡単にお答えしていますが、これにはこの10年ほどの間に経験したいろいろな出来事が大きく関係しているので、実はかなり長いお話になります。
  
今回、今まであまり他人に語ることがなかったこと、語りたくはなかったことも含めてここに掲載することにしました。
  
かなり長くなるので、5回に分けて投稿します。暇つぶしがてらにでも読んで頂ければ幸いです。
  
  
今から時を遡ること約7年前、私は高卒で就職した茨城にある某建設機械の生産工場で働いておりました。
  
建設機械というとショベルカーが思い浮かぶかもしれませんが、自分はそれとはちょっと異なる機械(⇒こんな機械 https://japan.hitachi-kenki.co.jp/products/new/environment-recycle/)を扱う部署にいました。
  
設計部門でCADなどを使って働いていましたが、諸事情から部署を移動することになり、設計から移った先が生産技術部。
  
生産技術というぐらいなので設計された部品の生産に関われるんだろう、興味がある分野だったので楽しみだな、と思っての異動でしたが、実際に移ってみると自分の部署は生産技術と言う名前の「なんでも屋さん」状態でした。
  
設計部門と生産部門とのすり合わせは良いとして、毎日現場に文句を言われながら改善計画を作り実行したり、幹部の前で将来的な技術革新の研究発表をしたり、組立に必要なのに行方不明となってしまった部品を工場内を走り周って探したり…
  
一番大変だったのは、作業の振り分けでした。自分の工場だけではなく、子会社や協力会社にも仕事を振り分けなければなりません。
  
折しも時はリーマンショック。
  
上から言われて子会社に仕事を持って行くと、いままでその仕事を行っていた現場から怒られ、子会社に仕事を持って行かないとそちらからお叱りを受けると言う、少ないパンを争う争奪戦に巻き込まれて心身ともに疲弊していました。
  
気が付くと、それまでほとんど病気もしなかったのに、温熱蕁麻疹になったり、肋間神経痛になったり、健康診断でひっかかって再検査で人生初の胃カメラを飲まされたり、散々な状態でした。
  
そんなとき、唯一の救いだったのが30歳過ぎにして初めてできた彼女さんの存在。
  
しかし…、3ヶ月ほどであっけなくふられてしまいました。
  
後に聞いたところによると、当時の自分があまりにも疲弊していたので観ていてつらかったとのこと。
  
無自覚でしたが、おそらく相当な依存状態になっていたのでしょうね。
  
過労による身体の悲鳴、そして精神的なストレス、強烈なショック…
  
この3つに同時に襲われた時に、ポッキリと折れました。
  
「折れた。折れちゃったよ、心がポッキリ…」
  
  
ある日、会社の駐車場に着いた後、いつものように車から降りようとしたら身体が動かなくなりました。

車を降りて事務所に行かなきゃ、と思っているのに全く身体が反応しない状態は、いま考えても不思議な感覚でした。

後のことはあまり記憶はないのですが、その日は会社に行けずに家へ帰りました。

それからも眠れない、寝てもすぐに目が覚めてしまう日々が続き、楽で人に迷惑をかけない様な死に方を探しもしました。

家の近くにある橋を車で通過するとき、ここでハンドル切ったら川に落ちて楽になれるのかな、なんてことを考え、実行一歩手前まで行ったときもありました。 

しばらくは会社にも行けず、電話で上司から指示された通り、近くの心療内科を受診したところ、鬱病の一歩手前『抑うつ状態』にあると診断され、1ヵ月ほど会社を休みました。
  
  
次回に続きます。