· 

なぜ柔道整復師&オステオパシー施術師になったのか?~第2話 スイッチが切り替わった瞬間~

  

こんにちは。健康工房SOWAKAの隆(たかし)です。

  

前回からの続きです。
  
  
「抑うつ状態」と診断されてから一ヵ月少々会社を休んだあと、なんとかもとの職場に復帰しました。
  
そんなある時、いつものようにデスクワークをこなしていると、一瞬、自分の前に数十年後のイメージが湧きました。
  
会社を定年退職後、たたずみながら自分の人生を思い返し、お金に不自由はないけど、何の楽しみもなく、パートナーもなく、ただ仕事で終わってしまった人生を嘆いている自分の姿。
  
  
そんな姿を(イメージで)見た時に「このままじゃいけない」と思ったのです。
  
「このまま一生を会社勤めで終わっていいのか?」
  
「ここで死んだら後悔するんじゃないか?」
  
「いま自分がやりたい事はなんだ?」
 

    
少し考えて、今までやりたいと思いながらやっていなかったことがまず2つ思い浮かびました。
  
一つは

 

「スキューバダイビング」
  
もう一つは

 

「地球一周の旅」
  
スキューバーダイビングについては、どこで知ったのか二人ペアじゃなければ駄目だと思っていたところ、調べて見たら1人参加でも大丈夫そうなので、とりあえずライセンスを取ることを目標にしました。
  
茨城にもショップがありましたが、調べると沖縄のショップと比べて、ホテル代等を含めても対して料金が変わりないと言うことがわかりました。
  
せっかくなら綺麗な沖縄の海でダイビングをしてみよう、とすぐに予約をいれました。
  
  
地球一周の旅は、流石にバックパッカーとして回れるほどの勇気はないし、かといって、クイーンエリザベスや飛鳥のような豪華フェリーで回れるほどのお金もありません。
  
さあどうしようか、と考えていた時に、会社の後輩Kさんが大学時代に地球一周の旅をしてきたと言っていたのを思い出し、話を聞いてみると「ピースボート」なるものの存在があることを教えてもらいました。
  
これならいまの自分でも参加できる。
  
二月に埼玉の大宮で説明会があったので、最初は説明だけを聞くつもりで参加してみましたが、アオザイ(ベトナムの民族衣装)を来た綺麗なお姉さんの誘惑に負けて(笑)、仮申し込みをしてしまいました。
 
ただ、後から考えるとスキューバダイビングとピースボートの予約をこの2011年の2月に済ませたのはある意味で良いことだったと思います。
  
1ヵ月後、自分と、そして多くの人の人生をかえてしまったあの出来事の後では、浮かれ気分での予約など出来なかったと思うのです。
  
  
2011年3月11日午後2時46分。
  
その時、いつもの様に会社の事務所でパソコンに向かいながらデスクワークを行っていました。
  
最初に窓がカタカタ、と音をたてて、細かい振動がパソコンの画面を揺らしました。
  
茨城は震度3ぐらいの地震は割合多いので、また地震か、程度に思っていましたが、時間が経つにつれ揺れがおさまるどころか激しさを増して行きます。
  
ふと天井をみると、の埋め込み式エアコンが狂ったように暴れています。
  
同僚にうながされて急いで机の下へ。
  
揺れが収まったあとも、みんなどうしてよいかわからず(会社の放送設備が停電で使えなくなっていた)、しばらく経ってから建物の外へ避難し、その日は帰宅しましょうとのことになって家路へ着きました。
  
いつもなら車を使って1時間くらいで帰れるところ、この日は3時間近くかかりました(それでも自分はまだ良い方でしたが)。
  
車のラジオから流れてくる津波の情報を聞きながら、川のすぐそばにある実家は大丈夫なのだろうかと不安な気持ちになります。

もちろん携帯電話も繋がりません。
   
家まであと500mというところまできたとき、道路が通行止めになっていました。
  
なので少し離れた公園にクルマを停めて歩いて実家へ。
  
幸いにも実家の前を流れる小さな川の水が少し道路側に出たぐらいで済み、家の中も大きな被害はなく無事でした。
 
TVが見られず、あたりの状況はわかりませんでしたが家族が無事で一安心できました。
  
  
あの日、歩きながら眺めた星空の美しさは忘れません。
  
明りのない夜空を眺めながら、人生では何が起こるかわからない、だからこそ、いまやりたい事をやらなくちゃいけないんだ、と強く思いました。
  
いま思うと、これが自分の中のスイッチが切り替わった瞬間だったのでしょう。
  
  
次回に続きます。